○○活動(略して、○活」について思うこと
- 2017/4/25
- 編集長ブログ

最近、いろんなことに、わざわざ〜活(動)と名前をつける風潮があります。
- 就活
- 朝活(朝の時間を有効に使おうという活動)
- 婚活(結婚するための活動)
- 妊活(妊娠するための活動)
- 保活(保育園に入るための活動)
- 離活(離婚するための活動)
- 涙活(泣いてストレスを発散する活動)
- 終活(葬儀や遺産などの人生をどう終えるかの活動)など
おそらく、当の本人たちは、意気込みも込めて、これらの言葉を使用するのだと思います。
ですが、逆にこういった言葉がある(そしてもれなくマニュアル類が存在している)ことで、
- 本来正解などあるはずもない
- 本人の価値観にゆだねられるべきもの
に対して、「〜あるべき」という呪縛を生じさせているのではと感じざるを得ません。
自分で決められる、判断できる人にとって、「あるべき姿」や「マニュアル」はあくまで参考程度にすぎません。
しかしながら、そうでない人にとっては、どうすべきか迷わせる材料になってしまうと思うのです。
働いたこともない学生に、突如としてふりかかる「就活」。
そして、選考という名のもとに、自分たちもできない課題を与える企業。
クリアできても、実際に社会に出てから役に立たない就活限定テクニックの数々。
どうせお互い時間と費用をかけるなら、もっと違う方法があるはず。
身近なところから改善していこうと、最近悩み相談を受けた就活生と話していて改めて決意したのでした。
(文:就活図鑑編集長)